出逢いーSeamlessな繋がり①

無意識なのか意識的なのか、今となっては分かりませんが、人生の中で何の偏見もなく、直感的に気になる人が時々現れます。そういった経験は誰の人生にもあると思いますが、私の場合はおおかた出会った瞬間のその人の印象をずっと鮮明に覚えていたり、直接会う前、名前を見ただけでその人とは何かあるから先に進もう、と決意する感じでした。親友も恋人も今振り返るとある印象がありました。今もずっと、この先も一生交流がある・なしではなく、双方の人生にとって大いなる刺激と恵み、そして多くの気づきがもたらされる人間関係がそこで(’今’、その一瞬に)構築されたのだと確信しています。

出逢いとは本当に宝(Gift)です。

 

直接的な人との出会いだけではなく、本や芸術、多くの命や土地、自然、そして何かしらのアウトプットを残してくれている著名な人々との出会いもそうですね。

一方的な学びかもしれませんが、彼らが残してくれる自分の人生への強烈な印象、その出会いによって自分の中の何かが大きく変わり、次へシフトすることは多々あります。そして、そうした出会いから今生の人生が計り知れないくらい価値がある時間であり、せっかく与えられた人生(時間)なのだから学び続けたいと思います。学びとは刺激と覚醒ともいえます。

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大学卒業後、初めての勤務先は渋谷にありました。

ある日の帰り道、渋谷駅すぐ裏の路地に警察が沢山いて、ちょっとした騒動が目に入りました。帰宅してからTVのニュースで渋谷駅近くで通り魔があり、複数の人が刺されたこと、被害者のひとりが当時総合格闘家だった須藤元気さんであることを知りました。

ニュースでは、普通の人であればナイフによる刺し傷が深傷になりかねないところ、プロの格闘家で日ごろから鍛錬を繰り返す強靭な肉体のため、幸い致命傷にも深手にもならなかったと報道していて、私の中で須藤さんの印象がなぜか強く残りました。

格闘技ファンでも全くないのでなんとなく不思議でしたが、それから数年後、須藤さんが引退まじかの頃(あるいはもう引退されてたのかな)本を数冊出されていて、「ああ、あの時の格闘家さん、本も書くんだ」と何気なく手に取ったその時が<再会>のようなきっかけになりました。本の内容が非常に達観した人生、宇宙論であることに驚いたことを覚えています。

当時まだ20代で格闘を生業としていた人が、日々これほど穏やかにそして瞑想を習慣にしながらこんなことを考えて過ごしているとはと、須藤元気さんという人への興味が強くなりました。おそらく須藤さん自身の膨大な読書量と経験値に裏打ちされた集大成が自身の著作につながっていたと思います。

30代に入る前に須藤さんは引退され、その後は著作活動や芸術・文化活動、海外での英語学習スクールの経営、World Orderという音楽・ダンスユニット活動のリード、お寿司屋さん修行、学生レスリング日本代表監督、大学院への進学。。。様々なフィールドに活躍範囲が広がり、そして昨年は国会議員になられました。

すべての活動は彼自身の<やりたいこと>であり、すべて心のままに始めたのでしょう。40代に入り、満を持して国会議員になられたのだろうと思います。

すべてはひとつ、We are All Oneという精神を基盤に、縦横無尽に活動エリアを広げられて今日に至り、すべての経験が生かされているのでしょう。

表情もどんどん柔和になり、楽しんで生きていらっしゃるのが伝わってきます。

私は熱烈なファンかと言えば、そうでもないかもしれませんが笑、同世代であり、要所要所で須藤さんのご活躍や人生から刺激を受けてきたと思います。

昨年、ちょうど参議院議員に当選された頃に過去の著作(「愛と革命のルネサンス」(2009年5月、講談社)を読んでいました。欧州を旅する須藤さんの旅行記でしたが、旅の最大の目的が世界賢人会と呼ばれる「ブダペストクラブ」の創設者、アーヴィン・ラズロ博士にアポなしで会いに行き、実際にお会いできたくだりです。

私自身、この時までブダペストクラブもアーヴィン・ラズロ博士のこともよく存じあげませんでしたが、自分が理想と思うことをすでに多くの方が明確に言葉にし、その主旨に多くの方が賛同されていることに文字通り、心がじんわり温かくなるのを感じました。

アーヴィン・ラズロ博士とブダペストクラブの要旨については、以下のサイトから引用させていただきます。

https://www.peaceproposal.com/jbudapestclub.html

【アーヴィン・ラズロ博士は、1932年ハンガリーブダペストに生を受けた。弱冠15歳でピアノの独奏会を開催するほどの「神童」で、ニューヨークの音楽評論家から「他に比類のない名演奏家」と絶賛されたという。

そんなラズロ少年が人生の意味や社会の運命に強い関心を抱くようになったのは10代後半。コロンビア大学で哲学や物理学の講義を受講し、湧き上がるアイデアをノートに書き溜めていった。そのノートがオランダの出版社の目に止まり、30歳で初の著作を出版。その後、世界的な知性が集まる「ローマクラブ」のアウレリオ・ペッチェイ会長(当時)に懇請され、歴史的な報告書『成長の限界』の作成に尽力した。70年代には国連訓練調査研究所(UNITAR)の特別フェローに就任し、「新しい国際経済秩序」について15冊、「地域間の協調」について6冊の書物をまとめあげた。

93年、「第3回ハンガリー世界連邦会議」で基調講演に立ったラズロ博士は一つの提案を行う。「ハンガリーは経済大国でも軍事大国でもない。しかし、科学、芸術、文化において大きな力を持っている。その力を活かすため、芸術家や作家のクラブを創設してはどうか」

ローマクラブは主に政治・経済面の問題を扱う。ハンガリーが芸術・文化面からアプローチすればローマクラブの活動を補うことになり、より総合的に世界の諸問題の解決を図れると考えたためだ。ハンガリー政府は博士の提案に賛同し、事務所を提供した。これが世界賢人会議ブダペストクラブ誕生の瞬間である。

ブダペストクラブの基本的な理念について、ラズロ博士はこう述べている。「ブダペストクラブは『自分自身を変えることによってのみ、私たちは世界を変えることができる』と主張します。自身を変えるために必要な新しい世界観を教えてくれるのは、まぎれもなく芸術、文学、霊性の分野です」。ブダペストクラブにミハイル・ゴルバチョフ、アーサー・クラーク、ダライ・ラマをはじめ、多数のノーベル賞受賞者、宇宙飛行士、映画監督、音楽家などが参加しているのはそのためだ。

現代物理学の最先端では、「すべての存在はつながっている」ことが科学的に証明されつつある。それはすなわち、私たち一人ひとりの思いや言葉、行動のすべてが人類全体、地球全体に影響を与えていることを意味する。私たち一人ひとりの意識や行動が世界を形づくっているならば、自分自身を変えることで世界も変えられる。「あなたが世界を変えられる」のだ。こうした意識をラズロ博士は「人類が地球という惑星で持続可能な生存を続けていくために必要な意識」と呼び、「惑星意識」と表現している。ブダペストクラブの主要な使命は、この惑星意識を人びとに伝え、世界を変革していくことにある。】

The Club of Budapest Home Page http://www.clubofbudapest.org/clubofbudapest/index.php/en/

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博士の活動は音楽の道から始まり、物理学、そして哲学へと続きました。

ひとりひとりの霊性や芸術が人間性を支え、世界を大きく変える道しるべになると説き、その思いに賛同される方が出身国や活躍フィールドを問わず、これほど多くいることに安堵感を覚えます。

ダライ・ラマ14世を知り、その著作や講演記録に心から励まされた時と同じくらいの感動を覚えました。

そして、今、新型コロナウィルスの出現によって根幹から揺さぶられている現代世界と社会を思うと、改めて博士の提言を思い起こす時期に立っていると思います。

「自分自身をかえることによってのみ、私たちは世界を変えることができる」

今、改めて宇宙船地球号の乗組員である、人類(命の一つ)の意義を改めて考える時期にあると思うのです。

アーヴィン・ラズロ博士の理念から生まれた映画作品との出逢いもまた、昨年末以来、私の人生に大きな影響を与えましたが、それは改めて書きます。

 

人生には日々沢山の出逢いがありますが、それをどう受け止めるのか、軽く流したり、深く印象に留めるのか、受け手側の準備やタイミングにもよります。出逢いをどう生かすのか、また最初はよく理解できなかったことが、何かのきっかけで数年後、腑に落ちることもあります。

須藤元気さんがずっと提唱されていたWe are All Oneの思いと、ラズロ博士の「すべての存在はつながっている」理念から生まれた人と人との繋がりを思う時、多くの出逢いとまたそのタイミングの妙に不思議さと楽しさを覚えます。

人生は本当に辿ってみなければ分からない、未知のワクワクにあふれています。