8月の終わりに

早いもので2020年の8月も終盤です。

晩夏ということになりますか、それにしても残暑の厳しいこと。。日本はいつから油地獄の抜けない夏になったのかと思うけれど、地球を見渡すと紛れもなく温暖化が原因の厳しい夏の景色があるわけで、ハリケーン、台風、次から次へと厳しい自然の脅威が隣り合わせですね。地球にも静と動の輪廻があるとすれば、今は間違いなく動の時間に私たちは生きているのでしょう。

動の時間の身のこなし方、頭の使い方を、今生きているひとりひとりが考える時期にあるようです。

 

日本で過ごす夏、8月の風景として、戦争のことを考える時間がなんとなく増えたと個人的に感じています。これは齢を重ねたからなのでしょうか。子供の頃や自分のことでいっぱい〃の頃には、ほとんど自主的に思うことはなかったのに、8月15日や原爆投下の頃になると、改めて思わず手を合わせずにはいられません。

個人的には戦争を経験し、その時代を生きた祖父母に、生前もっと話を聞いておけば良かったと思います。祖父は元気な頃はほとんど戦争について口にしない人でしたが、

晩年、療養している頃、目が覚めると戦争中に駆け回った中国の話をよくしていました。無意識だったのだろうと思いますが、それだけ強烈な印象が最後まで胸の中にあったのだろうと今感じています。

 

こんな暑い季節に、75年以上前に生きていた人々はどんな気持ちで過ごしていたんだろう。ましてや2度に渡る原爆投下を経験した方には、絶望感しかなかっただろうと想像できます。それでも人は這いあがり、懸命に生き、草木は二度と生えないと言われた広島、長崎の風景は今、他の都市と変わらない。人間だけでなく全ての生命が持つ進化や力、生きようとする気を思うと、本当に苦しい状況でも最後まで諦めないことがどれだけ大切か思い知らされます。

 

なぜか分かりませんが、この夏は1985年8月12日の日航機墜落事故が妙に心に刺さりました。35年の時間が経過したのですね。当時、私は小学校低学年であまり事故の記憶はありません。それから8月になると御巣鷹山のニュースをTVで見たり、この事故を扱った小説、映画やドラマがあることは知っていましたが、個人的にあまり気にすることはありませんでした。むしろ、この事故を最後に日本の航空会社はジャンボ旅客機での死亡事故を起こしていないことで、個人的には空の移動への懐疑はほとんどありませんでした。

ところがなぜか、今年はこの日のニュースを境に事故のことが頭から離れなくなりました。機体に故障が発生してから墜落するまでの32分、乗員乗客すべての方の必死な思いが、ようやく少しでも想像できるようになったからなのか。そして残された遺族の方にはその後大変な悲しみとご苦労があったことを思うと、なぜでしょうね、当時どんな思いで過ごされ、そして今に至るのか、本当に今更ですが、少しずつでも知りたいと思うようになりました。

遺族会の方が亡くなられたご家族への思いを綴られた手記を、近く読んでみたいと思っています。

個人的には、お父様を亡くされた3人のご家族をモデルに作られた、WOWOWのドラマが秀逸でした。

「尾根のかなたに~父と息子の日航機墜落事故~」

https://www.wowow.co.jp/detail/101703

 

35年が経過しても、心に突き刺さるような大きな悲しみとショックが、多方面に残る大きな事故であったと思います。

8月、お盆の時期は思いを馳せることが多いなと、これまで本当に特に意識して過ごすことが無かったので、改めて感じた2020年の夏でした。と同時に、今ある時間を大切に過ごさなければと改めて思います。1日1日を心をこめて生きる。