変化への対応力

早くも11月も半ばですね。2020年という年は、東京オリンピックパラリンピックが開催されたり、日本でいえば令和の時代がいよいよ始まるということで、どちらかと言えば良いことが起こりそうな、変わり目の1年になるだろうと皆がソワソワと心待ちにしていた年に思いますが、ここまでの流れは誰が予測できたのでしょうか。

 

先の見えないコロナの影響で、倒産や解雇の数、自殺者も増えていると報道を耳にします。そして<コロナが憎い>という声も時々私の周りで耳にします。

そういう声を聞くたび、私はコロナで生み出された新生活スタイルや、自分の時間にこれまで以上に向き合うことができるようになった今年の流れを正直有難いと思っていたので、本当に人それぞれの受け止め方がある、と感じています。

無下に「いいえ、むしろ良い方向に流れていますよ」とも言い切れませんし、人によっておかれている状況、抱えている現実が違うので。いつだって、直面し、感じる世界は人それぞれですね。

 

ただ、なんとなく思うのは、これまで経済的に恵まれて、万事うまく回っていたように見える人ほど、今回の世の中の流れを受け止められない・受け入れられないのかな、ということです。他人から見たら一見「あの人はなんでも持っている、羨ましい」と思われる人ほど、実は心の中の虚しさや孤独感は計り知れないものだと瞑想のマスターが言っていましたが、きっとそうなのでしょうね。

芸能人の自殺が今年は特に目立ったように思いますが、それぞれの人がどんな葛藤や悩みをもって生きていたのか、本人以外誰一人分かる術はありません。

 

1か月ぐらい前に、朝ドラで終戦の情景を丁寧に描いていました。

戦前から馬鞍を作り、軍部が大手のお客さんだった主人公の実家は、ある日突然空襲に襲われ、作業場は崩壊、腕の良い職人さんも重症を負った末亡くなりました。

この時代の、昨日までの正義が終戦後逆転して悪になり、’常識’が180度ひっくり返る劇的な変化は、比較的守られ、穏やかな今を生きる私たちには想像を絶することではないでしょうか。

朝ドラに戻ると、みんなが頼りにしていた職人さんが亡くなり、どうなるんだろう?と思っていたら、あれよあれよと三女夫婦が戦後に需要が上がるだろう製品をあれこれ考え、革製の野球グラブやお財布を作るメーカーとして再出発することになりました。

古いものは自分たちの意図とは全く関係なく、急に奪われてしまったけれど、次に自分には何ができるのか、希望をもってそこに注力している様はとても素敵でした。

終戦直後から日本が立ち上がるまで、このような多くの庶民の力、変化は変化として受け止めて、新時代に何ができるのか・どのように生きていくのかをすぐに模索した人が沢山いたんだろうと思うと、人の持つ無限の可能性を感じます。

心に希望をもって生きることは本当に大切ですし、時に凄まじいエネルギーを発します。また、それによって目に映る’現実’も変わるのだと思います。

 

少し乱暴な言い方かもしれませんが、コロナがもたらした変化は、戦争で生じる社会変化に比べたらとても穏やかではないでしょうか。私たちは、時代がどのようにこの先変わっていくのか、ある程度余裕を持ちながら見せられているステージにあると思います。そして<コロナが終わって元の生活に戻りたい>という表現も耳にしますが、一旦コロナを経験した後の時代は、もう別の、新しい時代になっているということを自覚したほうが良い気がします。100%すっかり元と同じ世界はもう存在しないのですから。

(時代がずっと変化せず、同じような流れにあった・戻った、ということはかつてあったでしょうか?)

何か大きな変化が起きた瞬間に、私たちはもう次の流れの中に生きているのでしょう。

意図しない変化が起きた時、人は焦り、動揺します。ただ、その中で柔軟性をもって

希望をもって生きていく力は、ある意味での生命力の高さと言えるのかもしれません。

古いものや自分の持ち物に固執してもがくのか、気持ちを切り替え、古いものはさっさと手放し、子供のような気持ちで身軽に生きていくのか。実はいつでも、何歳でも人はそれが選べるのですから、いつだって自分の気持ち一つ、視点一つで人生は変わると思うとワクワクしませんか?