瞑想から感じる世界

3月頃から徐々に100%リモートワークにシフトして、どこにも出かけることができなくなったことをきっかけに瞑想会にお邪魔するようになりました。

ネット配信を介してのLive瞑想会は、地球上のどこにいても時間が合えばLiveで参加できるのが最大のメリット。そしてどなたか分からないけれど、いつも同じようなメンバーがそこにいてくれる安堵感が、ひとり空き時間に行う瞑想とは違う不思議な感覚をくれます。

新コロ下で色々不都合が生じている反面、Liveのイベントを好きな場所から各々に参加できる習慣が日常になったのは、コロナが生み出してくれた良い面なのかもしれません。

4月は開催者の方の優しさで、本当に毎日休みなく開催されていたこの瞑想会、

7月頃から月2回にはなったけど、完全に習慣となり、今では自分の大切なルーティンになりました。

瞑想を深めていくと、身体のハートやチャクラや等に意識を向けた方法を促されますが、私は正直そこまでには至りません。ただ最近は、ひたすら自分の心音を聞く、呼吸に意識を向けるだけの30分になっています。この方法が今の自分には一番しっくりくることと、自分自身が間違いなく今、ここにあること、そして生まれてきてから一度もこの呼吸のリズムを止めることなく、ここまでずっと歩んできたことに改めて感心するのです。笑 そう、自分の身体のことも、日々忙しいとか、他のことに集中して過ごしているとつい忘れているのですね。

でも、身体はずっとこうして呼吸を続けている、必要な器官や細胞がきちんと休まずに機能してくれていることに改めて感謝の気持ちが生まれてきます。面白いことは、ここ2か月くらいの変化として、瞑想が終わる頃に今自分がいる部屋・家に自分が好んで集めた物のすべてに感謝の気持ちが生まれてきたこと。

自分の時間にいてくれて、ありがとう、ということなのかな。

段々と自己流の瞑想でも、自分の中の変化、意識がどのように変わっていくのかを傍観していくことが少し楽しみになっています。

 

今週はAyurvedaのスリランカ人のドクターが主催する別のZoom瞑想会にお邪魔しました。ここではもっとシンプルなことを説いていて、瞑想は人それぞれ、色々なやり方があって良い、大事なのはあなたがリラックスできる瞑想であることとの優しい解釈でした。うん、これなら瞑想に違和感がある人も抵抗少なく始められるかな。

さらに、自分の呼吸に集中すること、あるいは優しい気持ちを周囲に伝播していくイメージ、そんな感じで瞑想すれば良い、との教えでした。とても素敵な瞑想への向き合い方ですね。

 

日々こうして過ごしてきて、この世でまず自分が責務を果たすことは、自分自身に向き合うこと、そして自分自身を幸せにできるよう、色々工夫してみることに尽きるのではないかと思う。

尊敬して止まない美輪明宏さんが以前おっしゃっていた忘れられない言葉に、

「自分以外誰が自分の味方になってあげられるの?例え味方がゼロになっても、最後自分だけは自分を見捨てず、見方になってあげなければ」があります。

自分が自分自身の最強の親友、親になってあげて、自分を鼓舞したり、励ましたり、反省させたりもする。。でも、最後は常に自分をいたわり、認めてあげることが大事だと。

幼い頃や成長しても経験が浅い頃、他人や目上の人から否定されることを経験すると、その考え方や言い分に飲み込まれてしまうのが人の性かもしれず、若い頃はなかなか難しい領域なのかもしれません。ただ常に大事なのは、自分自身の心、人に譲れない信念がそこにあると自分自身どこかで感じ、その感覚を忘れないで過ごすことではないかな。

そうしたら、若い時分は難しかった本来の自分、心への向き合い方がある時に、すっとできるようになるのではないかと思います。瞑想はそういう意味で、落ち着いている自分にただ向き合い、本来の自分自身にもう一度出会うことなのではないかと、最近感じています。