好機の中で、たくさんの気づき

緊急事態宣言、外出自粛、改めて文字にすると、堅苦しく、重い感じを覚えるけれど、沢山の、「本当の時間」を取り戻せた2020年の春は、個人的には多くの気づきと恵みに包まれていて心地が良い。

夕方や明け方の空をゆっくり見たいな、毎日適度に運動したいな、料理の過程をしっかり楽しんで、口にする食べ物をきちんと把握して頂きたい・・・・etc,

会社員生活がいつの間にか「当たり前」と思っていて、その隙間時間に詰め込むように週末できたり、できなかったりしていたこれらの小さな望みができている今、じゃあ、「当たり前」と思っていた会社員生活とはなんだったんだろう。自分の人生にとって絶対的に必要な生業、その道しかないのか?と問えば、砂山のようにもろく静かに崩れていくような感覚。

乱暴な言い方をすれば、今回のコロナ騒動が起きるまで、どこかで気づいていながらもふたをしていた、「当たり前」と思い込んでいた様々なことが、「違うでしょ」と諭されながら軌道修正されているよう。

大人になってから、心のどこかでミヒャエル・エンデの「モモ」をもう一度読み直したいと思うようになっていた。ところが自分の中でなぜか今じゃないと回避して、スリランカにアユールヴェーダを受けに行った頃に、ようやく手が伸びた。「モモ」が気になってからもう一度手に取るだけで数年経過していたんだから、何事もタイミングとしても我ながらすごい時間を要しすぎ。でも、きっとそのタイミングで読まなければ、なんとなくの印象でまた忘れてしまっていたことだろう。

そこに描かれていた世界は、驚くほどに、仕事の時間軸を中心に生き、呼吸を忘れているように「忙しい」と思い込んでいた私の世界と酷似していて、これは予言的な小説なのかと少し震えた。スリランカから帰国後に働いた会社は、さらに効率、効率、そして成果を競う世界。時間を少しでも節約するためにはどうやって工夫して働けばよいか、そんなことを真剣にコーチと呼ばれる人に諭されながら、モモの世界で描かれていた時間泥棒のロジックが生きている世界で半分笑い・半分もう沢山、と思った。

と同時に、これは100%、私がもう去らなければならない世界だと確信した。

こういう世界は私の人生だけじゃなく、どんな人の人生でももう終わるだろう。

 

今回の新型コロナウィルスの出現とそれに奔走される人間の生業、社会、経済。

まちがいなくこの後、世界は次のステージに進む。と同時にこれまで人間が生み出し、結果、人間自身、そして自然環境も疲弊していた様々なしがらみや制度、システムは過去のものになります。

そして、自然を征服して人間が生態系の頂点に立つような考え方に基づく西洋支配的な流れも変わるタイミングだと思う。一気に様々なレベルでの無理や疲れが噴き出るタイミングなんでしょう。でも、進化の過程ではこうした時期は必ずある。次に進む前に旧体制の垢は出し切らなければならない。個人レベルでは様々な気づきを経験しなければいけない時期なんだと思っています。

外出制限が出ている今、毎日驚くほどに空が綺麗。空気が澄んでいるおかげで、この時期には横浜市内から見ることがなかった富士山やスカイツリーがクリアに見えます。

鳥の鳴き声も今は街中に居てもクリアに聴こえ、そして外気が例年よりもだいぶ寒く感じる。けれど、ここ数年来の春や秋という「中間」の季節が実感もなく、あっという間に過ぎ去っていってしまうような気候がおかしかったのでしょう。それだけ気温や気候は私たちの経済活動の影響を受けていたのです。

この肌寒いな、と思えるくらいの気温が本来の四月の気候と思えば、ちょうど良い環境に今、戻りつつある、そんな気がします。

さあ、私はどこに向かい、何を始めて生きようか、今日も自分の心に問いかけます。