All needs LOVE

気がついたら3月、春分の日も過ぎ、今日は春の嵐の1日です。

出かける予定も中止して、1日家にお籠りの日曜日です。

コロナ禍下?の緊急事態(発動2回目の最終日)、地震春の嵐と3本柱なので、これは出かけないでね、と留目を刺されたのだと知人とメッセし、大人しく家に籠っています。

こんな週末も悪くないです。掃除や家の用事をいつもより丁寧に行い、今持っている持ちものを点検する。へたってきた洋服はこの冬で手放すことにし、何を新調するか考える。しばらく色の好みがある一定に偏ってたので、思い切って珍しいカラーを投入してみようとか、あれこれ考えるのも楽しい。

季節の変わ目で、自分の心境の変化も見えるようです。

少し繕えばまだ身に着けられるものは、裁縫箱を出して修繕してみました。

 

少し前に、瞑想のマスターが、<物にも心がある>話をしていて、本当にそうだよ~、と思いました。子供の頃は特にその感覚が強かった。安易に物に話しかけこそしないけど、踏んだり、ぶつかったりしたら、思わずごめんなさいと言っていました。身の回りの物だって、踏まれて痛いとか、乱暴に扱われたりして辛い、と感じるのは自然ではないでしょうか。逆に大事に丁寧に扱うことで、必ず喜んでくれるし、変な話、使い手のために長くその「物生」を全うしようと力をくれる。

 

比叡山千日回峰行を二度達成した酒井雄哉さんも、著書の中で「ドライバーの人が車に乗る前に、今日も安全に走行してね」と声をかける(思いを持つ)ことで、結果が変わってくるのでは、と書いておられて、大いに納得しました。

物を大切に扱う・丁寧に扱う、ということは、特に日本では小さい頃から言われる機会が多いことでしょうか。これが仏教に起因する教えかは分かりませんが、私たちの生活に根付く、とても素敵な考え方に思います。

 

裏覚えですが、水に乱暴な言葉と丁寧な言葉を話しかけて氷にした時に、出来上がる結晶の形が違ってくる、という研究は良く知られていますね。

「今日も綺麗だね」と声をかけながら世話をされた植物や花が生き生きと成長してゆく、クラシック音楽をかけて作る日本酒はまろやかになる、、当然、動物や小さな子供にも笑顔を向けて、その子にとって伝わるように良い言葉をかけ続けるかで、目に見える変化は沢山あるでしょう。

 

すごくざっくりになりますが、世の中、自分以外の人や物への気持ちがもっと広い愛になれば、本当に良く変わるのに、と最近改めて感じます。

 

安直な言い方ですけど、今はまだ愛が圧倒的に足りないんじゃないですか?

いつからそうなのか分からないけど、ある人が無駄に悩んだり、苦しいと思うことは、その背景にはやっぱり愛とか、思い遣りに起因する決定的な大事なことが足りないから生じる辛さだと思います。

 

All needs loveというか、all は全ての生きとし生けるもの、形を持たない(人の目には可視化して捉えられないもの、も)なにもかもを指して言っているのでしょう。

憎しみとか負の思いより、愛とかポジティブなエネルギーが嬉しいですよね。

それは人だけではなくて、文字通りのすべて、自分を含めた世界すべてに共通するのでしょう。

とりあえず、こうして思いを文字にしたり、感情を表に出せる人間から、それを意識して始めていけば、必ず地球全体にすごい良い変化が起こりますよ。

 

と、ここに書いたことは、ある見方からすれば、うさんくさい、スピリチュアル、宗教的な観念に捉えられそうですが、まったく宗教を持たずに、<普通に>生きてきた私でさえそう感じるのだから、きっとそういう理なのでは、と思います。

ほんの少しでも良いから、いつもより気持ちを込めてみる、<ここに愛があるかな?>と自問自答しながら、人や物と接してみる。その工夫を少しずつ始めていくと、どんな変化が現れるでしょうか。私もそうして過ごしていきます♡

 

Listening an album of the Weekend, The Highlights.

Wishing all a full of love weekend!