3.11

東日本大震災から9年が経ちました。

10年近く経過しても昨日のことのように思い出される、あの日の胸がぎゅーっと締め付けられるようなきつさ、3.11以降も半年ぐらい続いた胸がざわざわする感覚。

 

あの頃、どんな風に1日を過ごしていたんだろう。幸いにも記憶が抜けている気すらする。私は当時原子力関連の仕事に就いていたので、まったくそれと関係なく暮らしてた人と見方が少し違う気がしている。

加えて仙台は故郷でもある。高校時代までを過ごした土地であるけれど、仙台を中心に東北があれからどう「立ち直って」いくのか、そのままにして時を重ねていくのか、他人事ではない。

 

年月がどんなに過ぎても、この日本、地球に住んでいる限り、私たちはあの日のことを忘れられないし、繰り返し思い出して、それからの自分たちの生活、生き方を今一度考え直すんだろう。それぐらい生きていて衝撃的ともいえる、大きな転換期になった出来事。

あの日、多くの人命、動物たち、植物、たくさんの命が一時に失われ、M9級の地震のみならず、壊滅的な津波からの被害が襲った。津波さえなければと何度思ったことか。

原発事故のおかげで福島だけが取り残されているような現状も。これほどまでに連動した悲しみ、向き合わなければならない大変な出来事が連鎖的に起きて、今を生きる人間に突き付けられた課題は計り知れない。これは世代を超えて向き合う相当な重み、課題。

 

自分さえ救われたら良いのか、他人の悲しみ、苦しみにどこまで人は向き合い、慰めあって生きていくことができるのか。壊滅的な打撃を受けた土地、故郷の<復興>、そして原発事故。すべてのレベルでの心の向き合い方、生き方が試されていると思う。

 

何をもって<復興>と言えるのか。公共の場(街、ライフライン、etc)の機能がそれなりに戻ること、暮らしができるレベルに戻すことと、ひとりひとりの心の傷、悲しみが癒されることはまた別のレベルに存在する事実で、一緒に生きる私たちひとりひとりが向き合うべき課題なんだと思う。

それでも、すこしずつでも悲しみ、傷が時間によって癒されることを心から願う今日です。