出逢いーSeamlessな繋がり①

無意識なのか意識的なのか、今となっては分かりませんが、人生の中で何の偏見もなく、直感的に気になる人が時々現れます。そういった経験は誰の人生にもあると思いますが、私の場合はおおかた出会った瞬間のその人の印象をずっと鮮明に覚えていたり、直接会う前、名前を見ただけでその人とは何かあるから先に進もう、と決意する感じでした。親友も恋人も今振り返るとある印象がありました。今もずっと、この先も一生交流がある・なしではなく、双方の人生にとって大いなる刺激と恵み、そして多くの気づきがもたらされる人間関係がそこで(’今’、その一瞬に)構築されたのだと確信しています。

出逢いとは本当に宝(Gift)です。

 

直接的な人との出会いだけではなく、本や芸術、多くの命や土地、自然、そして何かしらのアウトプットを残してくれている著名な人々との出会いもそうですね。

一方的な学びかもしれませんが、彼らが残してくれる自分の人生への強烈な印象、その出会いによって自分の中の何かが大きく変わり、次へシフトすることは多々あります。そして、そうした出会いから今生の人生が計り知れないくらい価値がある時間であり、せっかく与えられた人生(時間)なのだから学び続けたいと思います。学びとは刺激と覚醒ともいえます。

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大学卒業後、初めての勤務先は渋谷にありました。

ある日の帰り道、渋谷駅すぐ裏の路地に警察が沢山いて、ちょっとした騒動が目に入りました。帰宅してからTVのニュースで渋谷駅近くで通り魔があり、複数の人が刺されたこと、被害者のひとりが当時総合格闘家だった須藤元気さんであることを知りました。

ニュースでは、普通の人であればナイフによる刺し傷が深傷になりかねないところ、プロの格闘家で日ごろから鍛錬を繰り返す強靭な肉体のため、幸い致命傷にも深手にもならなかったと報道していて、私の中で須藤さんの印象がなぜか強く残りました。

格闘技ファンでも全くないのでなんとなく不思議でしたが、それから数年後、須藤さんが引退まじかの頃(あるいはもう引退されてたのかな)本を数冊出されていて、「ああ、あの時の格闘家さん、本も書くんだ」と何気なく手に取ったその時が<再会>のようなきっかけになりました。本の内容が非常に達観した人生、宇宙論であることに驚いたことを覚えています。

当時まだ20代で格闘を生業としていた人が、日々これほど穏やかにそして瞑想を習慣にしながらこんなことを考えて過ごしているとはと、須藤元気さんという人への興味が強くなりました。おそらく須藤さん自身の膨大な読書量と経験値に裏打ちされた集大成が自身の著作につながっていたと思います。

30代に入る前に須藤さんは引退され、その後は著作活動や芸術・文化活動、海外での英語学習スクールの経営、World Orderという音楽・ダンスユニット活動のリード、お寿司屋さん修行、学生レスリング日本代表監督、大学院への進学。。。様々なフィールドに活躍範囲が広がり、そして昨年は国会議員になられました。

すべての活動は彼自身の<やりたいこと>であり、すべて心のままに始めたのでしょう。40代に入り、満を持して国会議員になられたのだろうと思います。

すべてはひとつ、We are All Oneという精神を基盤に、縦横無尽に活動エリアを広げられて今日に至り、すべての経験が生かされているのでしょう。

表情もどんどん柔和になり、楽しんで生きていらっしゃるのが伝わってきます。

私は熱烈なファンかと言えば、そうでもないかもしれませんが笑、同世代であり、要所要所で須藤さんのご活躍や人生から刺激を受けてきたと思います。

昨年、ちょうど参議院議員に当選された頃に過去の著作(「愛と革命のルネサンス」(2009年5月、講談社)を読んでいました。欧州を旅する須藤さんの旅行記でしたが、旅の最大の目的が世界賢人会と呼ばれる「ブダペストクラブ」の創設者、アーヴィン・ラズロ博士にアポなしで会いに行き、実際にお会いできたくだりです。

私自身、この時までブダペストクラブもアーヴィン・ラズロ博士のこともよく存じあげませんでしたが、自分が理想と思うことをすでに多くの方が明確に言葉にし、その主旨に多くの方が賛同されていることに文字通り、心がじんわり温かくなるのを感じました。

アーヴィン・ラズロ博士とブダペストクラブの要旨については、以下のサイトから引用させていただきます。

https://www.peaceproposal.com/jbudapestclub.html

【アーヴィン・ラズロ博士は、1932年ハンガリーブダペストに生を受けた。弱冠15歳でピアノの独奏会を開催するほどの「神童」で、ニューヨークの音楽評論家から「他に比類のない名演奏家」と絶賛されたという。

そんなラズロ少年が人生の意味や社会の運命に強い関心を抱くようになったのは10代後半。コロンビア大学で哲学や物理学の講義を受講し、湧き上がるアイデアをノートに書き溜めていった。そのノートがオランダの出版社の目に止まり、30歳で初の著作を出版。その後、世界的な知性が集まる「ローマクラブ」のアウレリオ・ペッチェイ会長(当時)に懇請され、歴史的な報告書『成長の限界』の作成に尽力した。70年代には国連訓練調査研究所(UNITAR)の特別フェローに就任し、「新しい国際経済秩序」について15冊、「地域間の協調」について6冊の書物をまとめあげた。

93年、「第3回ハンガリー世界連邦会議」で基調講演に立ったラズロ博士は一つの提案を行う。「ハンガリーは経済大国でも軍事大国でもない。しかし、科学、芸術、文化において大きな力を持っている。その力を活かすため、芸術家や作家のクラブを創設してはどうか」

ローマクラブは主に政治・経済面の問題を扱う。ハンガリーが芸術・文化面からアプローチすればローマクラブの活動を補うことになり、より総合的に世界の諸問題の解決を図れると考えたためだ。ハンガリー政府は博士の提案に賛同し、事務所を提供した。これが世界賢人会議ブダペストクラブ誕生の瞬間である。

ブダペストクラブの基本的な理念について、ラズロ博士はこう述べている。「ブダペストクラブは『自分自身を変えることによってのみ、私たちは世界を変えることができる』と主張します。自身を変えるために必要な新しい世界観を教えてくれるのは、まぎれもなく芸術、文学、霊性の分野です」。ブダペストクラブにミハイル・ゴルバチョフ、アーサー・クラーク、ダライ・ラマをはじめ、多数のノーベル賞受賞者、宇宙飛行士、映画監督、音楽家などが参加しているのはそのためだ。

現代物理学の最先端では、「すべての存在はつながっている」ことが科学的に証明されつつある。それはすなわち、私たち一人ひとりの思いや言葉、行動のすべてが人類全体、地球全体に影響を与えていることを意味する。私たち一人ひとりの意識や行動が世界を形づくっているならば、自分自身を変えることで世界も変えられる。「あなたが世界を変えられる」のだ。こうした意識をラズロ博士は「人類が地球という惑星で持続可能な生存を続けていくために必要な意識」と呼び、「惑星意識」と表現している。ブダペストクラブの主要な使命は、この惑星意識を人びとに伝え、世界を変革していくことにある。】

The Club of Budapest Home Page http://www.clubofbudapest.org/clubofbudapest/index.php/en/

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博士の活動は音楽の道から始まり、物理学、そして哲学へと続きました。

ひとりひとりの霊性や芸術が人間性を支え、世界を大きく変える道しるべになると説き、その思いに賛同される方が出身国や活躍フィールドを問わず、これほど多くいることに安堵感を覚えます。

ダライ・ラマ14世を知り、その著作や講演記録に心から励まされた時と同じくらいの感動を覚えました。

そして、今、新型コロナウィルスの出現によって根幹から揺さぶられている現代世界と社会を思うと、改めて博士の提言を思い起こす時期に立っていると思います。

「自分自身をかえることによってのみ、私たちは世界を変えることができる」

今、改めて宇宙船地球号の乗組員である、人類(命の一つ)の意義を改めて考える時期にあると思うのです。

アーヴィン・ラズロ博士の理念から生まれた映画作品との出逢いもまた、昨年末以来、私の人生に大きな影響を与えましたが、それは改めて書きます。

 

人生には日々沢山の出逢いがありますが、それをどう受け止めるのか、軽く流したり、深く印象に留めるのか、受け手側の準備やタイミングにもよります。出逢いをどう生かすのか、また最初はよく理解できなかったことが、何かのきっかけで数年後、腑に落ちることもあります。

須藤元気さんがずっと提唱されていたWe are All Oneの思いと、ラズロ博士の「すべての存在はつながっている」理念から生まれた人と人との繋がりを思う時、多くの出逢いとまたそのタイミングの妙に不思議さと楽しさを覚えます。

人生は本当に辿ってみなければ分からない、未知のワクワクにあふれています。

好機の中で、たくさんの気づき

緊急事態宣言、外出自粛、改めて文字にすると、堅苦しく、重い感じを覚えるけれど、沢山の、「本当の時間」を取り戻せた2020年の春は、個人的には多くの気づきと恵みに包まれていて心地が良い。

夕方や明け方の空をゆっくり見たいな、毎日適度に運動したいな、料理の過程をしっかり楽しんで、口にする食べ物をきちんと把握して頂きたい・・・・etc,

会社員生活がいつの間にか「当たり前」と思っていて、その隙間時間に詰め込むように週末できたり、できなかったりしていたこれらの小さな望みができている今、じゃあ、「当たり前」と思っていた会社員生活とはなんだったんだろう。自分の人生にとって絶対的に必要な生業、その道しかないのか?と問えば、砂山のようにもろく静かに崩れていくような感覚。

乱暴な言い方をすれば、今回のコロナ騒動が起きるまで、どこかで気づいていながらもふたをしていた、「当たり前」と思い込んでいた様々なことが、「違うでしょ」と諭されながら軌道修正されているよう。

大人になってから、心のどこかでミヒャエル・エンデの「モモ」をもう一度読み直したいと思うようになっていた。ところが自分の中でなぜか今じゃないと回避して、スリランカにアユールヴェーダを受けに行った頃に、ようやく手が伸びた。「モモ」が気になってからもう一度手に取るだけで数年経過していたんだから、何事もタイミングとしても我ながらすごい時間を要しすぎ。でも、きっとそのタイミングで読まなければ、なんとなくの印象でまた忘れてしまっていたことだろう。

そこに描かれていた世界は、驚くほどに、仕事の時間軸を中心に生き、呼吸を忘れているように「忙しい」と思い込んでいた私の世界と酷似していて、これは予言的な小説なのかと少し震えた。スリランカから帰国後に働いた会社は、さらに効率、効率、そして成果を競う世界。時間を少しでも節約するためにはどうやって工夫して働けばよいか、そんなことを真剣にコーチと呼ばれる人に諭されながら、モモの世界で描かれていた時間泥棒のロジックが生きている世界で半分笑い・半分もう沢山、と思った。

と同時に、これは100%、私がもう去らなければならない世界だと確信した。

こういう世界は私の人生だけじゃなく、どんな人の人生でももう終わるだろう。

 

今回の新型コロナウィルスの出現とそれに奔走される人間の生業、社会、経済。

まちがいなくこの後、世界は次のステージに進む。と同時にこれまで人間が生み出し、結果、人間自身、そして自然環境も疲弊していた様々なしがらみや制度、システムは過去のものになります。

そして、自然を征服して人間が生態系の頂点に立つような考え方に基づく西洋支配的な流れも変わるタイミングだと思う。一気に様々なレベルでの無理や疲れが噴き出るタイミングなんでしょう。でも、進化の過程ではこうした時期は必ずある。次に進む前に旧体制の垢は出し切らなければならない。個人レベルでは様々な気づきを経験しなければいけない時期なんだと思っています。

外出制限が出ている今、毎日驚くほどに空が綺麗。空気が澄んでいるおかげで、この時期には横浜市内から見ることがなかった富士山やスカイツリーがクリアに見えます。

鳥の鳴き声も今は街中に居てもクリアに聴こえ、そして外気が例年よりもだいぶ寒く感じる。けれど、ここ数年来の春や秋という「中間」の季節が実感もなく、あっという間に過ぎ去っていってしまうような気候がおかしかったのでしょう。それだけ気温や気候は私たちの経済活動の影響を受けていたのです。

この肌寒いな、と思えるくらいの気温が本来の四月の気候と思えば、ちょうど良い環境に今、戻りつつある、そんな気がします。

さあ、私はどこに向かい、何を始めて生きようか、今日も自分の心に問いかけます。

 

 

美しいものを想い、優しい心だけで生きる♡

志村けんさんが亡くなったニュースを見るとどうしても泣いてしまうけれど、志村けんさん=全員集合のドリフやかとちゃんけんちゃんなので、YouTubeを見ると大笑いwwこれで良いんだなって思う。

今の今は志村けんさんがもう居ないということ、コロナウィルスで突然命を絶たれてしまった悲しみでいっぱいだけど、彼の圧倒的な存在感は、100%楽しいだけの爆笑が絶えない時間にあるのだから。これから思い出すたびに、100%面白くて懐かしい映像に笑い転げるだけでいいんだ。

それにしても笑いの力、この時代の笑い、ドリフの歌やコントには、世代を超える何とも言えない温かさがあるなあ、って改めて思い知らされた。この頃、本当に多くの家族が一緒に同じ番組を楽しみに見ていただろうし、みんな同じ笑いを見て育てられたんだなあと思う。なんて贅沢で楽しい時代だったんだろう。

終息が見えないコロナ騒動の中で、多くの人が自分に向き合う時間、いつもなおざりにしていることを少し丁寧にできる時間を得ていると思う。

このタイミングは、きっと、これまでの自分や社会、時代を振り返るにまたと無いチャンス。私もそう。忙しいとか何かの言い訳にして、いつの間にか置き忘れていたような、子供のころのような心ー大切なことや、些細なことを愛おしむ気持ちを今一度思い出して、かなりスローダウンして自分の呼吸を深くしなさいと、<自分>を見つめなさいと言われていると思う。かなり強制的だけど、またとないチャンスです。

<自分>=<他人>他の命、すべての命。そしてすべて愛おしい。

 

なぜだか分からないけれど、志村さんが亡くなった際の高木ブーさんの言葉の中の、「また一緒にコントやりたかったのに。」という言葉に涙が止まらなくなった。

子供のように純粋で、本当にまっすぐな願いだからだと思う。

いくつになっても、人は純粋で壊れやすい♡のままで生きていい。それが人だし、みんなのそういう気持ちが守られるべき。

国籍や立場や年齢など、勝手な判断材料になっている「壁」を取っ払って、ひとりの人としてお互いに大切に想う、そういう時間にみんなで戻りましょう。

心を惑わせたり不安にさせることではなく、美しくて少しでもホッとできることに心を寄せて、子供の頃のような、純粋な気持ちを1秒でも長く意識してみたらー必ず何かが変わる。そして、自分の今生もいつ終わるか、明日かもしれない、それは誰も分からないのだから、今のこの一瞬を、今日という1日を心を込めて過ごすことが本当に大切だと思う。

明日からの4月は、いつもよりずっと丁寧にそういうことを心に留めて過ごそう♡

 

 

 

「神との対話」から

この春は思いの外、日常生活のこまごまとしたことに時間をかけ、丁寧に暮らしていることを実感でき、不思議と満足感すらある。

自分の時間に向き合うことは、自分の内面を見つめることにもなり、日常の中で瞑想をしている感覚にも似ている。面白いことに、熟睡もいつもよりしている気がするし、朝方に見た夢のイメージもはっきり覚えていることが多い。

そんな春の時間、読書やため込んだ映画を見たりできているのも幸せ。

さて、今年の1月に講演に伺った際、山川紘矢さんが強く薦めていた「神との対話」(ニール・ドナルド・ウォルシュ著)を初めて読んだ。この本は1993年に著書が初めて神と対話した時から、最終的に3冊の本が対話をもとにまとめられると予測(計画?)されていて、その通り出版されているそう。

引き寄せの法則」がトリガーになったように、昔から多くの人が「知っていた」とされる叡智は今は様々な本やブログなどでよく耳にするけれど、この本に書かれている内容は、それらの集大成、元となる基礎が丁寧に書かれたものという印象を受けた。それも3冊に、テーマごとに分けて書かれているというのだから、読む側も気が引き締まる。

94年出版ということは、発表からもう25年以上も経過しているけれど、去年まで私はほとんどこの本のことを知らなかった。今、このタイミングで読むことで、ある程度すんなり受け入れられたのだろう。個人的に特に印象的に思ったこと、忘れたくないことを抜粋したい。

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人生は創造であって、発見ではない。あなたがたは人生に何が用意されているかを発見するために毎日を生きているのではなく、創造するために生きている。自分ではわかっていないだろうが、あなたがたは、一瞬一瞬、自分の現実を創造している。

どうしてそうなるのか、どんなふうに想像しているのかをまとめてみよう。

①わたしは神の形をかたどり、神にに似せてあなたがたを創造した

②神は創造者だ

③あなたがたは3つが一体となった存在ーその3つをどのように呼んでも良い。父と子と精霊、精神と身体と霊でもよいし、超意識と意識と無意識でもよい。

④創造とはその3つの部分から発生するプロセスである。言い換えれば、あなたがたの創造には3つの段階がある。創造の道具は、思考、行動、行為だ。

⑤すべての創造は思考から始まる(「父から生じる」)。

 すべての創造は次に言葉になる(「求めなさい、そうずれば与えられるだろう。話しなさい、そうすれば成就するだろう。」)。

 すべての創造は行為によって成就される(「言葉は人となって、私たちの間に住まわれた。」)。

⑥あなたが考えるだけで言葉に出さなくても、ひとつの段階での創造だ。考えて言葉にすれば、もうひとつの段階での創造になる。あなたが考え、語り、行動すると、具体的な現実になる。

⑦本当に信じていないことを考えたり、語ったり、行動したりすることはできない。だから、創造のプロセスには信念、つまり知るということが含まれる。絶対的信頼だ。

願うだけでなく、確実にそうなると知っていなければならない(「あなたは進行によって癒される」)。したがって、創造行為には、常に知識が含まれる。何かを身体で理解し、まるごと確認する、「完全に受容する」ということだ。

⑧そこまで分かっていれば、強い感謝の気持ちが生まれる。感謝せずにはいられない。それが多分、創造の最大の鍵だ。創造が具体化する前に、創造に感謝すること。願いは当然かなえられると信じること。そう信じても良いどころか、信じたほうが良いのだ。それこそが悟りの確実なしるしで、すべてのマスターはあらかじめ、ことが成就することを知っていた。

⑨あなたが創造するすべて、創造したすべてを祝福し、楽しみなさい。一部でも否定すれば自分の一部を否定することになる。あなたの創造の一部としてどんなものがあらわれようとも、それを自分のものとし祝福し、感謝しなさい。非難しないよう努めなさい。非難するとは、すなわち自分を非難することになるのだから。

⑩自分が創造したなかで、楽しめず、祝福できないものがあったら選びなおしなさい。新しい現実を呼び出しなさい。新しいことを考え、新しい言葉を口にし、新しいことをしなさい。立派にやり直せば、世界はあなたについてくる。「わたしが生命であり、道だ。ついてきなさい」と言いなさい。

 

心配などする必要はない。ただじっと見つめていればいい。自分は何者であるか、何をしているか、何を持っているか、それが自分のためになるか、気が付けばいい。

人生の意味とは、どこかに行き着くことではない。自分がすでに、そこにいること、これまでもずっとそこにいたし、いつもいると気づくことである。あなたがたは今もこれからも、常に純粋な創造の過程にある。人生の意味とは創造である。自分を創造し、それを経験することである。

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人間関係では、それぞれがまず自分のことを考えるべきだ。自分とは何者か、何をするのか、何をもっているのか。自分は何を欲し、要求し、与えているか。自分は何を求め、創造し、経験しているか。そう考えれば、すべての人間関係は素晴らしいものとなり、その目的にーそして関係を結んでいる人間にとってもー大いに役立つだろう。

 

人間関係では、それぞれが他者について心を煩わせるのではなく、ただただ自分について心を砕くべきだ。

「マスター」は、相手が何者で、何をし、何を持ち、何を言い、何を欲し、何を要求しているかはどうでもよいことだということを知っている。相手が何を考え、期待し、計画しているかはどうでもよい。大事なのは、その関係の中で、あなたが何者であるかだけである。最も愛情深い人間とは、最も自己中心的な人間だ。

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なんとなく迷うことがあったら、いつでもこれらの言葉を胸に刻もう。

3.11

東日本大震災から9年が経ちました。

10年近く経過しても昨日のことのように思い出される、あの日の胸がぎゅーっと締め付けられるようなきつさ、3.11以降も半年ぐらい続いた胸がざわざわする感覚。

 

あの頃、どんな風に1日を過ごしていたんだろう。幸いにも記憶が抜けている気すらする。私は当時原子力関連の仕事に就いていたので、まったくそれと関係なく暮らしてた人と見方が少し違う気がしている。

加えて仙台は故郷でもある。高校時代までを過ごした土地であるけれど、仙台を中心に東北があれからどう「立ち直って」いくのか、そのままにして時を重ねていくのか、他人事ではない。

 

年月がどんなに過ぎても、この日本、地球に住んでいる限り、私たちはあの日のことを忘れられないし、繰り返し思い出して、それからの自分たちの生活、生き方を今一度考え直すんだろう。それぐらい生きていて衝撃的ともいえる、大きな転換期になった出来事。

あの日、多くの人命、動物たち、植物、たくさんの命が一時に失われ、M9級の地震のみならず、壊滅的な津波からの被害が襲った。津波さえなければと何度思ったことか。

原発事故のおかげで福島だけが取り残されているような現状も。これほどまでに連動した悲しみ、向き合わなければならない大変な出来事が連鎖的に起きて、今を生きる人間に突き付けられた課題は計り知れない。これは世代を超えて向き合う相当な重み、課題。

 

自分さえ救われたら良いのか、他人の悲しみ、苦しみにどこまで人は向き合い、慰めあって生きていくことができるのか。壊滅的な打撃を受けた土地、故郷の<復興>、そして原発事故。すべてのレベルでの心の向き合い方、生き方が試されていると思う。

 

何をもって<復興>と言えるのか。公共の場(街、ライフライン、etc)の機能がそれなりに戻ること、暮らしができるレベルに戻すことと、ひとりひとりの心の傷、悲しみが癒されることはまた別のレベルに存在する事実で、一緒に生きる私たちひとりひとりが向き合うべき課題なんだと思う。

それでも、すこしずつでも悲しみ、傷が時間によって癒されることを心から願う今日です。

 

 

ヨーロッパの光と影

10年以上ぶりに訪れたヨーロッパは、それほど変わっていないように私の眼には見えた。きっと日本の社会の方が10年という時間の中では街の風景、人々の姿、表情がどんどん変化しているんじゃないかな。ヨーロッパはどうしてこんなにも「不動」なんだろう。冬という季節にあの地の街を歩いていると、どうしても貧富、社会の光と影がまざまざと感じられる。人々の表情は日本で見る人の表情に比べて影が濃い印象がある。街をゆく人々の足取りもなんとなく重い。まだまだ喫煙者が多いし、それによってポイ捨てがやたら目に付くし、公共の場にごみの放置が多かったり、物乞い(正しい表現なのか分かりませんが)が街角に佇んでいるのを見て、ああ、ヨーロッパだなあと思う。

映画の題材になるような光と影が至る所で見られる。そういう意味で現代の日本の方が明るいけれど、無機質、プラスチックみたいな質感にも思えてくる。欧州の方が人間くさいドラマが目に入りやすいといえばいいのかな。

こう書いていて、日本の方が歴史と現在を切り分けて暮らしているように思う。

ヨーロッパはその長い歴史を、現代を生きる人々がずっと背負っているように感じる。その違いは建物からくるのかしら。石でできた建物はずっと残り、木造の建物に暮らし、戦争や地震で破壊が多かった日本は、潔く(過ぎる?)どんどん建物を新しく積み重ねてきた流れもあるのかもしれない。

 

ミュンヘンにあるResidenz(昔の王宮)を訪れ、まばゆいばかりの宝物、コレクションに圧倒された。美を探求、誇示したい権力者の欲、探求心にため息が出る感じ。

20代の頃、私がフランスを中心にヨーロッパの重厚な文化と歴史に取り込まれるように引き付けられた頃、このまばゆい豪華さに圧倒されて、どうして自分はアジアの、それも侘びさびを追求する東の果ての国に生まれたんだろうと思った。でも、その後日本国内をたくさん歩き、改めてこの国の歴史と、それはそれは独特で素晴らしい文化を自分なりに感じた後で欧州を見ると、美とはそれぞれの様式美であって、優劣ではないと改めて感じた。もちろん個人の好みや趣向は別として。

色や形、たたずまい、どう心に迫ってくるのか、様々な観点から人や物を感じて、それぞれに判断、感じたらよいこと。それぐらい、この世の様式美は奥深く、ゆっくり時間をかけて見つめる価値がある。どういうタイミングでモノや人、風景に出逢い、その中で新しい自分の心の感じ方を受けるのか、それもまた素敵な出会いに思えた時間になった。

 

 

 

2020年3月の初め

コロナ騒動に火がついて出発して良いのかぎりぎりまで考えたけれど、2月の最終週にヨーロッパはオーストリアと南ドイツへー。向こうにいる間に欧州全体の状況も他人事ではなくなり、3月の初めに帰ってきた日本もコロナウィルス一色で、生活や社会活動全般に大きな影響が出ていた。弥生3月、この時期に店頭から物が消える、いつもの社会活動に制限が出るというのは、季節柄もあって、どうしても2011年を思い起こさせる。ただ、私たちは確実にあの頃とは違う。ひとりひとりが冷静に、何が真実かに向き合い、膨大な情報の中から今自分が向き合うべきこと、どう対処するか考える素地ができているはず。欧州から帰国したフライトの窓から見た日本の海、空はキラキラと輝いていたのが印象的だった。私たちはより良い明日を目指して、向き合う力、エネルギーを持っていると確信している。

この見えない’敵’にどう向き合い、どう対応していくか、分からないから不安なわけで、少しずつでも解明していった先、きっとさらに強くなっている自分たちに会えるだろう。